第十四回桂諷會—長山禮三郎一周忌追善のお能を見る

染谷記

(能『菊慈童』の博多人形)

昨今、若衆研がお能に怒涛の関心を寄せていることは、このブログで前に書かせていただきました。それはますます昂ぶりを見せております。近時、能楽堂で行われたお能の会についてのご報告です。

2021年11月23日(火)に、国立能楽堂にて、第十四回桂諷會—長山禮三郎一周忌追善のお能の会が開かれました。その時の感想を若衆研メンバーのJICCOさんと泊瀬光延さんから寄せていただきました。

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・JICCOさん

昨日国立能楽堂に行って来ました。

第十四回桂諷會 — 長山禮三郎一周忌追善 —
能「敦盛」長山凜三、舞囃子「当麻」観世銕之丞、狂言「無布施経」野村万作、能「砧」長山桂三、他 仕舞。

今回の能はずいぶん前からとても楽しみにしていたものです。

待ちに待った公演。敦盛のシテの長山凛三さんが14才の時に演じた「菊慈童」を私は観ているのですが、さらにすばらしく成長されていました。敦盛を討った熊谷次郎直実は、蓮生という法師になって敦盛を供養し続けていて、敦盛の霊と言葉を交わすのですが、その中の、敦「日頃は敵」、蓮「今は友」、敦「真に法(のり)の」、蓮「友なりけり」というやりとりが、とっても感動的でした。

そして長山桂三先生の「砧」。訴訟の為に上京して帰って来ない夫を待つ妻が、中国(漢)の蘇武(武帝を諫めたことで追放された)の残された妻が砧を打つ音が蘇武に届いたという話を思い出して自分でも砧を打つという姿も、鬼気迫っていました。そして、砧をいくら打っても夫は帰って来ず、執心を抱えたまま亡くなってしまったために地獄で責め苦を受けていた妻が、霊となって夫に苦しみを語る場面では辛くなりました。夫が祈ることで成仏できて良かったのですが、きっとこの能を観た人は、後の時代に、参勤交代、出征などで長く妻と離れても、もう悪いことはできないな…と思いました。

この「砧」という能は、人生経験を積み重ねた円熟期の人でなければできない能なんだろうなあ。「熊坂」で力強い男を演じた長山先生が、「砧」では、葛藤し傷つき疲れ果てた女を演じていらして、同じ方とはまったく思えない。あらためて考えると感慨深いです。

・泊瀬光延さん

桂諷会「長山禮三郎師追善」の出し物を堪能してきた。桂三師のお父上の追善になんと各シテ家から同年代の若衆が活躍する「若衆祭り」の体(てい)で、新世代への期待を表現したように私には思えた。「敦盛」の4人の草刈り人が全員16歳(一人だけ不明だが)であるのはその象徴であろう。

「敦盛」のシテを演ずる #長山凜三 師は16歳にして初面であった。今年は世阿弥が「幽玄」と称した少年役者の豊穣の年であり、多分あと10年、20年はこうしたことは起こらないかも知れない。力強くしかし直実に対する複雑な思いを表現する名演であった。

長山桂三 師の「#砧」は世阿弥が「後世の人には理解できまい」と嘆いたとある。中世なかんずく現代もや。その脚本に籠められしは、愛着と嫉妬と恨みが錯誤する精神劇であり、それを演じぬかれたのは日本芸術の一つの誇りであると感じる。

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私(染谷)は、大学の仕事や個人的な理由で、ちょっと身動きがとれずに、こうしたお能の会に参加できず、残念な思いをしておりますが、若衆研の方々が、能をはじめ中世の芸能に関心を持ち続けておられるのは慶賀の到りです。

ちなみに、若衆研のメインストリームである江戸時代の若衆歌舞伎は、従来、能狂言の狂言との近似性が指摘されてきました。それは概ね正しいのですが、能との関係も見直す必要があると昨今考えています。その切っ掛けは、沖縄(琉球)に伝わる若衆踊りです。これは、江戸時代初期の江戸で人気を博した若衆歌舞伎が、琉球の慶賀使・謝恩使によって琉球に伝わったものです。

この若衆踊りが現代にも伝わっていてビデオでも見ることが出来るのですが、その踊りの所作が実にたおやかで、まるでお能を見ているようなのです。こうした伝承というものが、古態をよく伝えることは柳田・折口の民俗学が明らかにしてきたことですので、ここはじっくりと考察してみる必要を感じています。

今後もお能の会が続きます。またご報告ができるものと思います。

染谷智幸(若衆文化研究会)

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