(畑中千晶さんの『これからの古典の伝え方』文学通信、2021年4月。出版されて、そろそろ一年だ。表紙は『男色大鑑』巻三の二「嬲りころする袖の雪」の山脇笹之介と伴葉右衛門。紗久楽さわさんの画)
「雪ねぶり」というのは春の季語で、雪が水蒸気化して靄(もや)となる、なんとも冷たく暖かい情景を指します。
「ねぶる」には「眠る」と「舐る」の二つの意味がありまして、「雪ねぶり」は「眠り」の方ですね。
若衆研のメンバーから、笹之介を思い起こしますとのコメントがあって、それは「舐る」で、この「雪ねぶり」とはちょっと・・・と思ったのですが、いや、待てしばし、雪で舐るもあるかもしれへんと調べてみました。
結局なかったのですが、無かったら作っちゃうのが若衆研の精神です。笹之介の行為はまさに「雪」で「舐る」、「雪ねぶり」で、新語として認定いたします、って勝手にやっちゃって良いのかしら。
ま、いずれにしても、「雪ねぶり」から、雪が眠りにつく春の情景を思い起こすのが俳句・俳言の世界とすれば、「雪」で相手をねぶり、なぶるという猟奇的世界を妄想し、雪で相手を舐るって、どんな行為だろう、ハダカに雪をこすりつけて悶絶させるのかなぁ、いやどこかに雪を付けて、箸ねぶりのようなことするんかなぁ・・・m(__)m。
閑話休題、それはともかく、さすが若衆研メンバーと感じ入った次第です、はい。
で、本題に入りますと、若衆研・雪ねぶりの夜会は、久しぶりの会でしたので、それぞれの近況報告をしていただきました。
こまごまとは書けませんが、若衆研のメンバーはそれぞれにご活躍のようで、私のメモには「あまみや慈雨さんのレーベル」「成瀬ノンノウさんの月刊アート」「九州男児さんの新作」「坂東実子さん『要約トレーニング問題集』」とあります。ご興味のある方、ぜひググってお買い求めくださいませ。
それから近況報告の後、大竹直子さんを中心に『源氏物語』談義になりましたね。主に大竹さんと私とのやり取りだったのですが、チャットで多くの方から、様々な横やり、縦もり、斜め切り、が入りまして、これが実に面白かったです。授業でも、前にこの方式を取り入れたことがありましたが、この4月からの授業でも、改めてこの方式を取り入れてやってみたいですね。
ちなみに、近況報告の最後に、私から倭寇の頭領で阿只拔都(アキバツ)と呼ばれた美少年が居たことが、朝鮮で話題になった話を少しさせていただきました。朝鮮王朝実録の原文には、
有一賊將,年纔十五六,骨貌端麗,驍勇無比,乘白馬,舞槊馳突,所向,披靡莫敢當,我軍,稱阿只拔都,爭避之,太祖惜其勇銳,命豆闌生擒之,豆闌白曰,若欲生擒,必傷人,其人至於面上,皆被堅甲,無隙可射,太祖曰,我射兜牟頂子,兜牟落,汝便射之,遂躍馬射之,正中頂子,兜牟纓絶而側,其人急整之,太祖卽射之,又中頂子,兜牟遂落,豆闌便射殺之,於是賊挫氣
とあります。これは1380年に朝鮮半島の南原で、後の朝鮮初代王となる李成桂(イ・ソンゲ)と戦ったアキバツの記録です(南原ってかなり内陸ですので、倭寇は朝鮮半島に相当入り込んでいたんですね)
上の漢文を訳しますと、以下のようになります。
倭寇の将軍の中に一人、年齢はわずか十五、六歳、姿は端麗にして、並ぶことなき剛勇の者であった。白馬に乗り、鉾を振り回して疾風の如く走る。向かうところの敵を靡かせて敢えて立ち向かう者なし。我々朝鮮軍は、その将軍の名を阿只拔都(アキバツ)と称し、これと戦うことを避けた。太祖(イ・ソンゲ将軍、後の初代朝鮮王)は、アキバツの勇敢・鋭敏な振舞を見て、これを討ち取ることを残念に思い、配下の豆闌に命じてアキバツを生け捕るように言った。豆闌が言うには、「もし生け捕りにしようとすれば、味方のそれなりの損傷を考えなくてはなりません。アキバツは顔まで硬い甲で覆われていて、弓を射る隙間がないのです」と。太祖が言うには、「では、私がアキバツの兜の上部を弓で射てみよう。そして兜が落ちたら、お前はすかさずにアキバツを射なさい」と。太祖はついに馬に乗ると、アキバツに向けて矢を放った。そして矢は言う通りにアキバツの兜に当たった。すると、アキバツの兜の紐が切れて兜が傾いた。アキバツは急いで兜を整えようとしたところ、また太祖は矢を放ち、アキバツの兜に当てた。すると兜は完全に落ちてしまった。それを見た豆闌はすかさず矢を射てアキバツを殺した。アキバツが死んだことによって、倭寇軍は戦意を大いに喪失した。
どなたか是非、白馬にまたがるアキバツくん(アッキーと呼びましょうか)を絵にしてくれないでしょうか。
ちなみにアキバツのアキは韓国語で子供、バツはモンゴル語で勇猛さを意味するそうです。もちろん諸説があります。
なお、6月初旬には面会での若衆研を考えています。何とか、このままオミクロンもステルスの流行も収まって欲しいですね。
染谷智幸(若衆文化研究会)


